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和歌を読むー金槐和歌集(3)—

《夏部》に代わって、《秋部》の一回目。七首

きのうこそ夏は暮れしか朝戸出(あさとで)の衣手(ころもて)さむし秋のはつかぜ

ことしげき世をのがれにし山里にいかで尋ねて秋の來つらむ

ひこぼしの行合(ゆきあひ)をまつ久方の天の河原に秋かぜぞ吹く

故郷のもとあらの小萩いたづらに見る人なしみ咲きか散るらむ

秋風になに匂ふらむふぢばかま主(ぬし)はふりにし宿と知らずや

萩の花くれぐれまでもありつるが月いでて見るになきがはかなき

われのみやわびしとは思う花薄(はなすずき)ほにいづるやどの秋の夕ぐれ



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写真は、思想家、詩人、評論家の吉本隆明(大正13年〜平成24年)の著作、《源実朝・(ちくま文庫)・平成24年・第2版》である。しかし、この内容は、すでに《日本詩人選・12・筑摩書房・昭和46年》に収録されているとのこと。源実朝に対する私の理解は、《征夷大将軍ながら、優れた歌人》の程度で、実朝の人物像、そして、その和歌のすばらしさなどは、よく分からない。それで、源実朝について、何か、著作を読んでみようと思った。調べてみると、実朝に関する著作は沢山あったが、その中で吉本隆明の《源実朝》を買って読み始めてみた。世に著作が沢山あるということは、実朝に対する関心が高いことを示すものであろう。いざ読み始めてみると、私の読書力不足のため、すんなりとは進まなかった。

第一章は、《実朝的なもの》というテーマである。吉本は、このテーマの冒頭を、小説家、太宰治(明治42年〜昭和23年)の《右大臣実朝》と、文芸批評家、小林秀雄(明治35年〜昭和58年)の《実朝》への言及から始めている。《右大臣実朝》も《実朝》も、どちらも、先の大戦の真っただ中、昭和18年に書かれている。吉本によれば、当時、太宰と小林は、自分が傾倒していた数少ない文学者であったと言っている。

吉本は、太宰が描いた実朝の生き様は、イエス・キリストのそれであり、そういう生き様が、人間に求める太宰の理想像であったと言っている。すべてのことを受容しながら、悠然と身を処し、最後に滅し敗北する。しかし、強いて敗北を意識することもない。こういう状況を実朝に見て取っている。じわじわと迫り来る北条氏の囲い込みを、納得詰めで見守り、《平然と滅亡できる人物》、それが実朝だった。

小林の実朝像は、陰惨な暗殺集団・北条氏の手のひらに乗せられた、無垢で孤独な詩人である。小林のすばらしさは、古典を身近に引き寄せ、鮮やかに古典のなかの人物を蘇らせた手腕にあると言っている。実朝は、小林にとって、太宰が抱いたような人間の理想像ではない。吉本は、先の大戦中、孤独だった小林が、自分を実朝に移入したものと言っている。

吉本は、戦時中、太宰、小林の二人が、何故、「実朝」をとりあげたのかと問いながら、別段、共通な理由はないとしつつ、当時の復古主義的な風潮下で、自分なりの《古典》を示したかっただけであったのかと反問している。

ここまで私が書いた内容は、吉本が書いた《実朝的なもの》の全体中の、わずか二頁半を要約したものであり、《実朝的なもの》の本論は、これ以後にある。読み、まとめきれなかったので、次回としたい。





和歌を読むー金槐和歌集(2)—

金槐和歌集の二回目。ひき続き、《夏部》から六首。

和歌と言うと、平安貴族のたしなみと思えるが、実朝のような武力を拠りどころとする出所の人間が、このように趣深い歌を、数多く詠むということは、やはり格別なことと思う。平家が滅び、一応、頼朝が鎌倉幕府を開き、源氏の世となったとは言え、実朝26歳の生涯を通じて、武者の世界では食うか食われるかの政略がうごめいていたのである。実朝12歳のとき、兄・頼家の殺害を目の当たりにし、その後、長じて自身は兄の子、公暁により惨殺されたのである。当時、年端もゆかぬ12歳の子が、実兄を殺害してまで、将軍職に就きたかったのであろうか。甥の公暁は、《親の仇・》と言いつつ、実朝に切りかかり、斬首し、その首を持ち帰ったという。なんとも、空恐ろしい有様である。八百年前の世は、そういうことだったのである。しかし、政略の世に身を置きながらも、実朝の歌からは、暗澹たる思いが感じられることは少ない。


昨日まで花の散るをぞ惜みこし夢かうつつか夏も暮れにけり

夏はただこよひばかりはと思ひねの夢路にすずし秋の初かぜ

夏ふかみ思ひもかけぬうたたねのよるの衣にあきのかぜぞ吹く

夏山に鳴くなる蝉の木(こ)がくれて秋ちかしとや聲も惜しまぬ

ゆかしくば行きても見ませゆき島のいはほにおふる撫子の花

岩くぐるみづにや秋のたつ田川かは風すずし夏のゆふぐれ


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写真は、先刻のとおり、84年前に出版された岩波文庫・金槐和歌集、そのものである。当時の製本技術は、かようなものであったのか、本の上端が一直線に裁断されていないのである。年を経て、紙が赤茶けているのが、また、なんとも趣がある。




和歌を読むー金槐和歌集(1)—

《金槐和歌集》は、鎌倉幕府第三代将軍の源実朝の家集である。実朝は、鎌倉幕府の開祖、源頼朝と北条政子との間に生まれた(1192年)。第二代将軍の兄・頼家が政略により幽閉された後、わずか十二歳(1203年)で第三代将軍に就くのである。そして、長じて、実朝は、1219年1月27日、雪積もる、かの鎌倉鶴ヶ岡八幡宮において、兄・頼家の子、公暁によって殺害されたのである。満26歳であった。

家集の巻上には、《春部》、《夏部》、《秋部》、《冬部》が、巻中には《戀部》が、そして巻下には、《雑部》がある。全部で、716首の歌である。

さて、さて、どこから始めようか。パラパラとページをめくり、何気なく読んでいても、どの歌が際立って優れているのか、正直よくわからない。先人が選んだ実朝の優れた歌を、そのまま引用するのも、主体性がない。根拠は無いが、読んでいて、なんとなく、《これが、いいかぁ・・》と獏と感じたものを書いてみた。だから、《どこが、いいのか》と問われても、わからない。そして、古語で表現されているので、言葉そのものの意味がわからないことが多い。

まずは、天下の《小倉百人一首》に選ばれている歌から始めよう。この歌は、巻下の《雑部》にある。

世の中は常(つね)にもがもな渚(なぎさ)こぐ海士(あま)の小舟の綱手かなしも

つぎに、今は夏であるから、《夏部》から、五首を。しかし、なかなか難しい。

惜みこし花の袂(たもと)もぬぎかへつ人の心ぞ夏にありける

わが宿の垣根に咲けるうの花はうき事しげき世にこそありけれ

ほととぎすなく聲あやな五月(さつき)やみきく人なしみ雨は降りつつ

いにしへを忍ぶとなしに故里(ふるさと)のゆふべの雨に匂ふたちばな

袖ぬれて今日ふく宿のあやめ草いづれの沼のたれか引きけむ



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写真は、私の手元にある岩波文庫の《新訂 金槐和歌集 齋藤茂吉校訂》である。後部に、昭和4年4月25日出版と印刷されている。近々の重版ではない。実に84年前の出版である。定価40銭とある。これは、20代の頃、東京神田神保町の古本屋界隈をうろついていた時、店先のワゴンセールかで買ったものと思う。何故、買ったか。多分、《金槐和歌集》だからと言うより、源実朝は、稀に見る《歌人》なのだという聞き覚えの精だったと思う。そんなわけで、購入以来、今日まで、まじめに開いたことは無かった。長く書棚にあり、そして何回かの移動で、表紙が破れ落ち、紛失してしまった。岩波文庫特有の花木と鳥の文様で縁取られた表紙装丁があった。





詩を読むー流星/初恋ー

これで、《詩を読む》を終える。ついては、再度、島崎藤村(明治5年〜昭和18年)の作品である。詩集、《若菜集(明治29年)》から、《流星》と《初恋》である。《若菜集》は、藤村、24歳の作品である。藤村は、若菜集は、《私の文学生涯に取っての処女作とも言うべきものであった》と言い、また、《私の青春のかたみともいうべき》とも言っている。


                  —流星—

             門(かど)にたち出(い)でただひとり
             人待ち顔のさみしさに
             ゆうべの空をながむれば
             雲の宿りも捨てはてて
             何かこひしき人の世に
             流れ落つる星一つ


シャクヤク
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    —初恋—

             まだあげ初(そ)めし前髪の
             林檎(りんご)のもとに見えしとき
             前にさしたる花櫛(はなぐし)の
             花ある君と思いけり

             やさしく白き手をのべて
             林檎をわれにあたえしは
             薄紅(うすくれない)の秋の実に
             人こひ初(そ)めしはじめなり

             わがこゝろなきためいきの
             その髪の毛にかゝるとき
             たのしき恋の盃(さかずき)を
             君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

             林檎畑の樹(こ)の下(した)に
             おのづからなる細道は
             誰(た)が踏みそめしかたみぞと
             問ひたまふこそこひしけれ



牡丹
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佐藤春夫と三好達治の詩集もあるが、死後50年間の著作権保護があるので、ここでは掲載できない。他日に譲ることとする。









詩を読むー小景異情ー

室生犀星(明治22年〜昭和37年)の《叙情小曲集(昭和12年)》から、《小景異情(一)、(二)》である。

                 —小景異情—

                (その一)

             白魚のさびしや
             そのくろき瞳(め)はなんといふ
             なんといふしほらしさぞよ
             そとにひる餉(げ)をしたたむる
             わがよそよそしさよ
             かなしさと
             ききともなやな雀しば啼けり

                (その二)
 
             ふるさとは遠きにありて思うもの
             そして悲しくうたうもの
             よしや
             うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
             帰るところにあるまじや
             ひとり都のゆふぐれに
             ふるさとおもい涙ぐむ
             そのこころもて
             遠きみやこにかえらばや
             遠きみやこにかえらばや





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